アントワープ王立芸術アカデミー ドリスヴァンノッテン、マルタンマルジェラ、アンドゥムルメステール [ドリスヴァンノッテン]
アントワープ王立芸術アカデミー
「アントワープ」の本来の意味
「アントワープ」ファッション業界での意味
ファッション学科(Fashion Department)は、ファッション業界ではロンドンのセントラル・セントマーチンズ・カレッジ オブ アート アンド デザイン(The London Institute Central Saint Martins College of Art and Design)、ニューヨークのパーソンズ・スクール オブ デザインと並び、ファッション業界では世界3大校と称される。1982年より、学科長はリンダ・ロッパ女史が務める。
1986年、ロンドンの展示会にアントワープ王立芸術アカデミーの卒業生6人が出展。マスコミがこぞって彼等を取材したのが契機となり、世界中で「ア ントワープの6人(the Antwerp Six)」と称えられた。以来、90年代は「アントワープ」それ自体がファッション業界で脚光を浴びるほどとなった。
アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)
マリナ・イー(Marina Yee)
ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)
ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)
ダーク・ヴァン・セーヌ(Dirk Van Saene)
ダーク・ビッケンバーグ(Dirk Bikkembergs)
主なアントワープ派デザイナー
・アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester) [♀]・マリナ・イー(Marina YEE) [♀]
・ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten) [♂]
・ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck) [♂]
・ダーク・ヴァン・セーヌ(Dirk Van SAENE) [♂]
・ダーク・ビッケンバーグ(Dirk Bikkembergs) [♂]
・ヴェロニク・ブランキーノ(Veronique Branquinho) [♀]
・マルタン・マルジェラ(Martin Margiela) [♂]
・ラフ・シモンズ(Raf Simons) [♂]
・ベルンハルト・ウィルヘルム(Bernhard Willhelm) [♂]
・ウィム・ニールス(Wim Neels) [♂]
・ステファン・シュナイダー(Stephan Schneider) [♂]
・フィリップ・アリックス(Filip Arickx) [♂]
・アン・ヴァンデヴォースト(An Vandevorst) [♀]
・オリヴィエ・ティスケンス(Olivier Theyskens) [♂]
・ティム・ヴァン・スティーンバーゲン(Tim Van Steenbergen) [♂]
・アナ・ヘイレン(Anna HEYLEN) [♀]
・ジョセフュス・メルキオール・ティミスター(Josephus Melchior THIMISTER) [♂]
・リーヴ・ヴァン・ゴルプ(Lieve Van GORP) [♀]
・パトリック・ヴァン・オムスラーゲ(Patrik Van OMMESLAEGHE) [♂]
・クリストフ・ブロイヒ(Christoph BROICH) [♂]
・ユルギ・ペルスーン(Jurgi PERSOONS) [♂]
・サラ・コリネン(Sarah CORYNEN) [♀]
・アンジェロ・フィグス(Angelo FIGUS) [♂]
・アンケ・ロー(Anke LOH) [♀]
・ブルーノ・ピータース(Bruno PIETERS) [♂]
・クリスチャン・ワイナンツ(Christian WIJNANTS) [♂]
・アナリス・ブレックマン(Annelies Breackman) [♀]
・クリストフ・ブロイヒ(Christoph BROICH) [♂]
・ピーター・デ・ポター(Peter de Potter) [♂]
・ピーター・フィリップス(Peter Philips) [♂]
・マルク・ガイズマン(Marc Gysemans) [♂]
・エレン・モンストレイ(Ellen Monstrey) [♀]
・エヴァ・ラクレス(Eva Lacres) [♀]
・ケイト・ティリー(Kaat Tilley) [♀]
・アン・ヒューベンス(Ann Huybens) [♀]
『アントワープの6人とは・・・(the Antwerp Six)』
アントワープ王立芸術アカデミーが注目されたきっかけのはなし・・・
今や伝説となっている「アントワープの6人」にマルタン・マルジェラがいる。よくパリコレスナップ写真などでもファッション通やハリウッドセレブまで幅広い人気。かれらは90年代に新しいモードの波としてファッション業界を席巻する。
1985年、アントワープ王立芸術アカデミーのファッション科を卒業した学生6人が、作品をバン1台に積み込んでロンドンファッションウィークの、ブリティッシュ・デザイナーズ・ショー(展示会)に参加したところから彼らの快進撃がはじまる。
きっかけは当時ベルギー政府がモードの活性化のために企画したことで、若いデザイナーの創造性と生産工場を結びつけることを目的としたコンクールにグループで参加していたことだった。
そのコンクールにはマルタン・マルジェラと後のアントワープの6人と言われるメンバーの7人で参加。コンクールは3回続いたが、あまりいい結果は生まれなかった。ドリス・ヴァン・ノッテンは当時を振り返り「靴まで完璧なコレクションだったが、スポンサーはつかないし、工場も商品化を考えてくれない不満の残るものだった」と語る。
結局その間、マルタン・マルジェラは、ジャン・ポール・ゴルチエに就職が決まりメンバーから抜けることになり、メンバーは6人となる。
その後85年、86年と2回にわたってロンドンのファッションウィークに6人のメンバーで参加。
6人合同でショーを開き、それをマスコミが取材したことでアントワープのファッションに注目が集まる。
これは世界中で「アントワープの6人(the Antwerp Six)」と称えられ、以来「アントワープ」がファッション業界で脚光を浴びることとなった。
ちなみに「アントワープの6人」と呼ばれた由縁であるが、これは6人の名前が外国人には呼びにくく、覚えてもらうのが難しかったため「アントワープの6人」とまとめて呼ばれたもの。注目は集めたものの、実際には商品化の依頼が殺到したわけではなかった。
しかしロンドンでのコレクションを機に、ドリス・ヴァン・ノッテンはメンズ、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクはニット、ダーク・ビッケンバーグは靴など工場とコンタクトを取るようになり、それぞれその分野からデビューしていくことになる。
彼らがそれぞれ別の分野でデビューしたのは意図的なものではなく、その分野からしか取引がなかったからだった。
しかし、それぞれのデザイナーは徐々に実力が認められ世界中の有名ショップ(ブティック)からオーダーを受けるようになり、90年代に新しいモードの波として彼らを中心としたアントワープ出身のデザイナーがパリモードを席巻することとなる。
『アントワープの6人』
・ドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)
・アン・ドゥムルメステール(Ann Demeulemeester)
マリナ・イー(Marina Yee)
・ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck)
ダーク・ヴァン・セーヌ(Dirk Van Saene)
ダーク・ビッケンバーグ(Dirk Bikkembergs)
※後にマリナ・イーがデザイナーを引退し、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)を上記 5人と合わせて、「the Antwerp Six(アントワープの6人)」、あるいは、マルタン・マルジェラを加えて「the Antwerp Seven(アントワープの7人)」呼ぶようになった。
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卒業はしていないがベルギー出身あるいはアントワープ派と言われることが多いデザイナー
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