劣等生だった島田順子 ジュンコ・シマダ(JYUNKO SHIMADA)がパリで活躍 理由 [ラグジュアリー]
島田順子 - ファッションデザイナー-
1941年千葉県館山市生まれ。63年杉野学園卒業。66年渡仏。70年クリエイティブ集団「マフィア」に入社。75年キャシャレルの専属デザイナーに。81年独立。同時にパリコレに初参加。以来毎年パリでコレクションを発表。「JUNKO SHIMADA」を立ち上げ、現在は「JUNK」「J Junko Shimada」等各種ブランドを手掛ける。96年FEC(日本ファッション・エディターズ・クラブ)賞受賞。現在はパリ在住。
ラジオ番組で島田順子さんとバイオリニストの葉加瀬太郎さんが対談していた内容から
島田順子さんがなんのツテもなく渡仏しパリで成功を手に入れた秘訣を読み解きます☆
☆普段はパリに住んでるそうですが、いつ頃パリに移住したんですか?
私が行った60年代は日本でもヌーベルバーグ全盛期だったので、凄く憧れていて「何処かへ行くならパリに」と思ったんです。
映画的にはゴダールとかレイマールが全盛だった頃ですね。日本にいてもかなりインパクトは強かったですが…東京の人達が感じるパリとは随分違うものがあったんでしょうね。
でも世代のギャップって凄いですよね。当時のこと何て、話してもみんなわからないですよね。
僕は68年の生まれなんです。
私、その頃働いてました(笑)。
僕の中でも幼い頃感じてた日本のイメージって、今とは全然違いますよ。逆に言うとパリのイメージはその頃とあまり変わってないんじゃないですか?
東京は3ケ月留守にすると知らないうちに景色が変わってるでしょ。うちのアパートから見える景色が違うんですね。でもパリは“街のど真ん中に大きなビルを建てない”とか規制があるので、京都みたいに環境を保ってられる所なんですよ。だから景色が変わらないですよね。
中を変えていっても周りを変えない。それに情熱というか“街を作っている意識”がそれぞれの市民にあるんですよね。僕は6回くらいしかパリに行ったことないんですけど、いつも一番感動することは“街はこうやって作られていくんだ”ということなんです。
何に感動するって…東京はこんなにモダンで色んな意味で進んでいるのに、電信柱がそこら中にあるでしょ。
決して綺麗とは言えないですもんね。
それこそ“あの当時ナポレオンが全部の電線を埋めた”とか言いますね。街作りが進んでますよね。目先の事で作るんじゃなくて、長い時間をかけてしっかりしたものをしっかり作りますよね。
未だに忘れもしないんですが、ルーブルにガラスのピラミッドが出来ましたよね。あれは賛否両論で物議を醸し出してしてましたけど、この間行った時にはもう街に美しく馴染んでるんですよ。
夜の光が当たる時なんて綺麗ですよね。
新しいものを作る時に“どう見えるか”を考えて作られてる。あれは東京では真似出来ないことですよ。
これは文化の違いだと思いますよね。
30年間近く住んでいて、未だにパリに対する恋心は色褪せませんか?
人間は不思議なもので、最初のインスピレーションが凄く残っているんですよ。だから多分パリだって凄く変わってるはずだし人々のモラルだって凄く変わってるはずなのに、私の中では何も変わってないんですよね。
◆そもそもファッションデザイナーになったきっかけは?
私は何やっても行き当たりばったりなんですよ(笑)。パリに行ったのも“長い間計画を立てて”とかじゃないんです。だからこういう仕事するようになったのも偶然なんです。「目の前に川があったから渡らなきゃ」みたいな感じ。
東京でファッションの学校に行っていて、だんだんそういう道に進むわけですよね。「服を作りたい」と思ってパリに行ったわけではないんですか?
そんなの全然(笑)。“パリに行きたい”その気持ちだけです。
向こうに行ってどんどん作りたくなっていった、ということですか?
パリで道を歩いていて素敵な人達に巡り逢うわけですよ。こういう人達と仕事をするとは思っていなかったけれど「一緒に仕事が出来たら素敵だな」とは思っていました。全然違うことで絵の学校に通ったりはしてましたけど。
すぐに服に関係するお仕事が出来たんですか?
私は人の巡り逢いが凄く幸福なんです。探してるわけじゃないのにたまたま良い方々に会えるんです。当時のUPIの編集の人や外国人でファッション界に精通した人がカフェにいたんですよね。ちょうど私が住み始めたホテルが17区で近くにそういうカフェがあって。日本の女の子だからあの人達には珍しくて「何してるの?」と声を掛けて来たんです。
いきなりですか?!
おじさんがたくさん来て、何か普通の人とは違うし面白そうだからお話して「デザインの勉強をしたいんです」と言ったら、私のこと何も知らないのに「いい人を紹介しよう」と言われたんですよ。念のため日本大使館の知り合いに「どう思いますか?」と聞いたら「調べないと危ないよ」と言われて(笑)。でも調べてもらったら「危なくない人だし、紹介してくれるという人が凄く有名だから行ってみたら」と言われたので一緒に紹介されて行ったんです。
それで?
その人はプランタン・デパートでチーフみたいなことやってるクロエル・ブリントンという人で、びっくりしたんですよ。豪華なオフィスで「何をしたいの?」と聞かれたから「勉強したいんです」と返事しました。“仕事したい”とはいえないですからね(笑)。「勉強したいと言っても今大変な時だからね」と言われましたね。ちょうどド・ゴールがアルジェリアを解放する68年のデモあたりで「外人はなかなか雇えないのよ」と言いながらも、紹介された先がプランタン・デパートの研究室だったの。私、何も出来ないのに(笑)。
もういきなりお仕事ですね。
「外国人には労働権とかあげなくちゃならないから1週間に3回いらっしゃい。その時に描いたものを見せて」と言われて。それから一生懸命描いたんです(笑)。
カフェで出会ったきっかけが…!
そう、凄いでしょ!
巡り会いで、考えてもみなかったきっかけが次々と出来たということですね。でもそれは持って生まれた運が島田さん自身にあるんでしょうね、きっと。
今思うとありますね。
作ることが好き。趣味と実益を兼ねて…幸福だと思います。(島田)
初めてパリ・コレに出品したのはいつ頃なんですか?
私自身としては81年なんですけど、その前にデザインでは何年か携わってました。
今からちょうど20年前ですね。パリ・コレは世界のファッションの中心ですよね。それに出るまでは大変な苦労があったんじゃないですか?
私は職人肌で作ることが好きだったから、そんなに凄いことだとは全然意識にないです(笑)。試行錯誤しながら3、4人で作りましたから。本当にお金がなくて在庫の生地を買って来たりしながらやりました。寝ずにやってるからパリ・コレ当日は宙に浮いてるような感じでよく分からないんですよ。70時間寝なかったの初めてですよ。考えられます?
70時間…3日!
床の上でパタンと寝ちゃったこともあります。だから私にとっては“夢みたいな綺麗なパリ・コレクション”じゃないんですよ。とにかく何かを発表しないと…メッセージを送らないとわかってもらえないから、手段としてパリ・コレクションをするわけです。
★一度パリ・コレをやってしまうとその後は?
水車みたいです。止まったら「この人終わりね」ということになるので。今でも水車みたいに走り回ってるんですよ(笑)。1回か2回止まって再会しても、もう1度上手くいくってあまりないですよね。それから数えて20何年つまり40何回やってるわけですよ(笑)。
1年に2回だからそういうことになりますね。「もういいじゃない、休憩」というのは?
私1人だったらもうとっくにやめて飛び出してますよ(笑)。それこそヒマラヤ辺りへ行ってると思う。でも1人じゃないですよね。生活のかかった仲間が増えて、そして一生懸命売ってくれるお店の人がいて社会的に責任がありますから。今は放り出すのが許されないので、足枷はめられたみたいな感じですけど。でも作ることが好き。趣味と実益を兼ねて…幸福だと思います。
本当にハードなスケジュールですよね。年2回だから6ケ月は次のコレクションのことを考えてる時間ですね。例えば“春夏”が終わった瞬間から“秋冬”を考えてるんですか?
その前から入ってます。というのは素材を集めるとか探すのはもっと前から始まってますから、重複してます。
じゃあずっと重なり続けてるんだ。もう1つ聞きたいんですけど、春夏コレクションの時は春夏じゃないですよね。現実のシーズンとは全く逆で発想していかないとならない。何か難しいことは?
時差みたいに6ケ月早いと思ったらいいわけですよ(笑)。クルクル回ってるからいつも目の前にたくさん服があるわけです。終わったらもう服を見ないですよね。
でも次のアイデアがどんどん出てくる?
不思議ですよね。水車みたいに水が絶え間なく流れるみたいに出てくるんです。
普段住んでるのはパリ市内ですか?
はい、モンマルトルですね。
☆インスピレーションを得英気を養うパリ郊外(フォンテンブロー近郊)の家
本で島田さんのお宅を拝見したんですけど素晴らしいですよね。あれはパリの家ではないんですか?
フランスに2つ住む所があって葉加瀬さんが見たのは田舎の方の家ですね。私は人の巡り逢いも幸運なんですけどモノの巡り逢いも幸運なんです。この家は本当に偶然の巡り逢いで、もう14~5年前です。当時日本はバブルで10平米のマンションが1億単位の時代だったんです。あの家は庭が3,000平米あって裏庭が1,000平米あって家が2軒たっていて5,000万円。
えー、日本では考えられないですね。
それで家も何もなかった当時、その5,000万円を借金して買ったわけ。その界隈は昔修道院だったらしく地下室には教会があるんですよ。11世紀の礼拝堂で文化財なの。日本人の小さな女の子が初めてパリに行ってそんなものに巡り逢うなんて考えられないでしょ。その家は空気がいい所で、ジュール・マスネの家だったというんですよ。
タイスの瞑想曲を書いた人ですね。
さらに、噂で書かれているその村のドキュメント本があるのね。ずっと読んでいったら、オスカーワイルドのことに触れてるんだけど、彼がフォンテンブローの方に逃げて隠れてたんですね。英国でホモセクシャルだと罪になるでしょ。ホモセクシュアルとかレズビアンの仲間、つまり社会的に大変な人達と隠れてたんです。
本当ですか?!
私オスカーワイルド大好きだからどういう偶然かなと思ってるんです。可笑しいでしょ。生きてて良かったなと思いますよね。
その田舎の家はパリからどのくらい離れてるんですか?
55kmくらい。
車で1時間かからないか。
通えますよ。ショーとかで忙しい時はモンマルトルの家に住んでますけど、基本的には田舎の家から往復してます。でもさっきの話とかしてたら神様にバチが当たるんじゃないかと思うくらい、ぞっとするほど幸福な時が時々あるの。
もう全然言葉が出て来ないんですけど(笑)。
いやいや自慢話じゃなくって。
自慢して下さい(笑)!
違うの。幸福の望み方・求め方は人それぞれで色んな形があると思うの。私は小鳥の声が聞いて目が覚めて、夜は星と話をしてミミズクの声を聞きながら寝ることが出来る、そんな今が幸福だなと思っているの。
それは素敵な毎日でしょうし、またその環境が次の自分のバイタリティを生んでくれるでしょう。
凄くエネルギーをくれる!
絶対そうですよね。
絵を描いてる時は何か対象があるんですか?
好きな女性像というか、永遠にある女性像のイメージがあるわけですよ。
具体的には?
綺麗な人とかお人形さんみたいな人は私の想像の女性じゃないんです。茶目っ気があったり時々意地悪だったり、ちょっとセクシーだったり知性があったり…自分の足りないものをいっぱい含んだ女性なんです(笑)。
“自分の足りないもの”と言うのは、実は島田さん自身じゃないかという気もするんですけど(笑)。
よくみなさんは「女優さんで誰に着てもらいたいですか?」とか言うんですけど決まった人じゃないんですよ、空想の人なので。そういうイメージがいつもあって描いてるんです。そのスタイルはずっと変わっていないと思うんですけど。
スタイルを変えずに毎年斬新なアイデアが出てくるわけですよね。そのテーマやモチーフは自分で探されるんですか?
毎日生活している中で生まれてきます。具体的にいうと今回のアフガニスタンの問題で世の中に恐怖があるから“ピンクで優しくしていこう”とか“もうちょっと柔らかい世界を作ろう”とか、そういうことですよね。私はアーティストじゃないので。デザイナーの中にはアーティストの人もいるんでしょうけど私は「この人はこうしたら素敵になるな」「愛される女の人が出来るんだろうな」なんて想像するので割と現実的なんですよ。
◆アーティストではないというモットーはずっと持ってるんですか?
いつも自分に「アートって何?」と問い掛けるんですけど。ポップアートが出始めた若い頃…ウォーホールが宣伝広告用のキャンベルのスープの缶とかコカ・コーラとかモチーフに作品を作りましたよね。あの時に「アートとはお金持ちとか特定の人を相手にしたものではない。街に出たら誰でも見られる。ポピュラーのアートなんだ」ということでムーブメントがありましたよね。
はい。
その時感動したんですよ。「そうなんだ! 缶詰めとかスープの缶でもヴィジュアル的に美しい。何かを訴えたいというのがその絵の中にあるのがアートなんだ」って。だから私は着られる服で私自身のものをアートというのはおこがましいかなと思って。そういうポピュラーなもの、人が美しく見えてくるもの、それは私にも値するしいいことかなぁと思って。
とても良く分かります。でも人はそれをアートと呼ぶんですよ。今の現代においてファッションというのはアートの中の大きな部分を占めてると思います。
産業としては何兆円なんですって。アートが何兆円になりますか(笑)。
いや、そうは思いますけど。でも残っていくものもたくさんあるじゃないですか。
でも私は服を記録に残さないんです。全部捨てる。「明日もしもう少し素敵なものが生まれたら、恥ずかしくて2年前のものは見られないわ」という感じで。だから何にもないですよ。
ファイルしておきたいという欲望は生まれないですか?
私個人としては何にもないですね。会社はどこかでドキュメントで残してたりしますけどね。“あの時のあのスーツが良かったからもう1度引きずり出す”とかそんなことやってますけど(笑)。私は「あんなのちょっとやめてちょうだい」という感じで。
逆にいうと、そうすることで次へ向かって行くんですね。カッコいいなぁ。
そんなことないです(笑)。
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